アドラー心理学「嫌われる勇気」まとめ!課題の分離とは?
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本当の自由とは?
アドラー心理学の「嫌われる勇気」をまとめようと思いましたが、1記事でまとめられなかったので、まずは1章ごとにまとめていきます。
今回は、第3章の「他者の課題を切り捨てる」
第3章 他者の課題を切り捨てる
第3章のテーマは、ズバリ、課題の分離!
表題の“嫌われる勇気”は、第3章のテーマである課題の分離から来ていて、対人関係の最終目標ではなく、ここが入り口。
まずは、自分は自分の課題、相手は相手の課題として、分離しろということです。
アドラーは、承認欲求を否定します。
われわれは、他者の期待を満たすために生きているのではない。
他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになる。
近年の悩みの多くは、承認欲求から来ています。
例えば、facebookでいいねやコメントが欲しいばかりに、旅行や食事に行くたびに写真をアップするのは、「自分のことを見て欲しい、認めてほしい」と求めることから起こる行動です。
ラインの既読無視なども、反応して欲しいから落ち込みますよね。
アドラーは、このように他者からの評価を求めるのではなく、自分の人生を生きろと言います。
課題の分離とは何か
そこで、重要になるのが、課題の分離です。
課題の分離とは、相手の課題には介入するなということです。
例えば、先ほどのfacebookの例だと、いいねやコメントをするのは、自分ではなくて他者ですよね。そこに期待してしまうのは、課題の分離ができていないから。
また、親が子の勉強などに口出ししてくるのも、課題の分離ができていないから。
「子供が心配だから・・・」という言い訳も、子を心配しているというよりは、見栄や世間体などの親自身の目的にすり替わってしまっていることが多い。
親が「私の子供は、あの高校に合格したのよ~」という会話は、よく聞く話ですよね。
他者からの承認か、承認なき自由か
できることなら、誰からも嫌われたくない。
これは、僕も以前思っていたことです。
僕は、かなり内気だったので、なるべく目立たないようにして、いつも当たり障りのないことを言って、勉強もそれなりにしていました。いわゆる、優等生ってやつですね。
ですが、そう振る舞っていると、誰からも嫌われない代わりに、誰からも好かれません。
仲が良いと思っていても、面と向かって2人で人生について語り合う、なんてことをできる人は、学生時代に1人もいませんでした。
つまり、他者からの承認だと思っていても、それは実は、偽りの承認です。
「すごいな~いいな~」みたいな承認って、その裏には、妬み・嫉みがあるもんです。
そんな人生、めちゃくちゃ不自由じゃないですか?
もはや、他人に振り回されすぎて、自分の意思がない奴隷みたいですよね。
本当の自由とは何か、アドラーは
自由とは、他者から嫌われることである
と言います。
誰かに嫌われてるということは、
あなたが自由に、自分の意志で生きているということです。
なぜなら、自分の意志で行動すれば、必ずそれを嫌う人がいるから。
それを恐れると、何もできなくなり、他人の人生を生きることになります。
僕も、会社を辞めたわけですが、そういう行動を取ると
「あいつはバカだ。」
「成功できるわけない。」
「将来不安じゃん。」
みたいに言う人もいるけど、それは相手が勝手に思っているだけで、自分には何の関係もありません。
それを怖がって、自分の人生を生きないなんてもったいない。
だからこそ、嫌われる勇気が大切なんですね。
ですが、これは自己中心的に生きろということではありません。
それについては、第4章に続きます。
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