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アドラー心理学・幸せになる勇気の要約まとめ(図解あり)

 

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㈱自給人代表取締役 / ブログマーケッター / ブログ集客の専門家
湘南茅ヶ崎で、ブログを中心としたWEBマーケティングのコンサルティングを個人や法人の方にしつつ、趣味で畑で野菜を育てています。
ブログも野菜もコツコツ育てることが大好き。
【自給人=人生をコンテンツ化できる人】を育てていきます!
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株式会社自給人の斉藤(@datura8925)です。

嫌われる勇気の続編、「幸せになる勇気」はチェックしましたか?

 

嫌われる勇気の要約記事でも、「わかりやすい!」という声を頂いたので、幸せになる勇気についてもまとめてみました!

嫌われる勇気でも紹介しましたが、少しだけ書き加えて、図にしてみました。

幸せになる勇気

 

同じアドラー心理学ですので、嫌われる勇気と言いたいことは同じですが、幸せになる勇気では、さらに詳しく掘り下げて、解説しています。

・自立とは何か?
・教育とは何か?
・なぜ賞罰と承認欲求を否定するのか?
・「人生のタスク」とは?

について、より詳しく解説しています。

 

その中でも、本書の大きなテーマは「自立」。

「自立」は、当ブログのコンセプトでもありますし、僕の人生のテーマでもあります!!

 

幸せになる勇気は、僕の生き方にドンピシャ!!

最近、コンサルも始めたので、ちょうど「教育」についても、関心があって、幸せになる勇気でめちゃくちゃ腑に落ちました。

それでは、1章ずつ要約していきますね。

第一部 悪いあの人、かわいそうなわたし

第一部では、「教育とは何か?」について、語られています。

結論から言うと、教育とは、自立をサポートすること。

人はみな自由を求め、無力で不自由な状態からの自立を求めている
(p.36 アドラーと教育について)

その自立をサポートするのが教育であり、他人の問題に介入することが教育ではありません。

例えば、部下がミスを犯していても、「こうしなさい!!」と言うのが教育ではないということ。自分で考えて、正しい選択をするためのサポートをするのが教育なのです。

教育の入口とは?

そして、教育の入口となるのが「尊敬」です。

尊敬とは、一般的に使われる「人を敬う」尊敬ではなく、人間の姿をありのままに見ること。これが尊敬です。

 

人の問題に介入してしまう人は、人のことを評価しがちですよね。

  • あの人がやっていることは間違っている!!
  • あの人はかわいい!!
  • あの人がやっていることは素晴らしい!!

このように無意識に他人を評価している時点で、「課題の分離」ができておらず、勝手に人の問題に介入しているのです。

そうじゃなくて、その人自身をありのままに見る。

なにひとつ否定せず、なにひとつ強要せず、ありのままの「その人らしさ」を受け入れ、尊重する。つまり、相手の尊厳を守りつつ、関心を寄せていく
(p.50 共感という技術について)

課題の分離をして、相手を尊敬する。それが入口であり、次に共同体感覚があります。

共同体感覚になるためには、「他者の関心ごとに」に関心を寄せること。そうすれば、共同体感覚に到達すると、アドラーは言っています。

 

他人を評価するのではなく

「なぜ相手がそのことに興味を持っているのか?」

を自分に置き換えて、理解することが「共感」なのです。なので、共感とは、単なる同調ではなく、技術なんですね。

 

共感をすることで、相手を尊重する。それが尊敬であり、教育に繋がる。ということを、第一部では語られています。

第二部 なぜ賞罰を否定するのか

第二部では、賞罰について、語られています。

嫌われる勇気でも、アドラーは賞罰を否定し、「叱ってはいけない、褒めてもいけない」教育を推奨しています。

 

では教育で必要なことは何かというと、「教えること」です。

われわれ大人たちに必要なのは、叱責ではなく、教えることです。
感情的になるのではなく、大きな声を出すのでもなく、理性の言葉で。
(p.87 無知という罪について)

学校でも、会社でも、ミスを犯すと怒鳴る人がいますが、怒鳴って怒ることは1番簡単ですよね。叱ることは、言葉の暴力であり、人間的にも最も幼稚なコミュニケーションなのです。

 

部下がミスを犯した場合でも、部下はそのミスが起きるとわかって、わざとやったわけではありません。そのミスが起こると”知らなかった”のかもしれません。

なぜそのミスが起きたのか?それを一緒に考えて、教えることが大切なんですね。

賞罰を否定する理由

さらに、アドラー心理学では、人間には元々”共同体感覚”があり、共同体に所属したいという欲求があるとされています。この所属感を求めて、人間は問題行動を起こします。

その問題行動は、以下の5段階に分けられると言っています。

  1. 第1段階:称賛の欲求
  2. 第2段階:注目喚起
  3. 第3段階:権力争い
  4. 第4段階:復讐
  5. 第5段階:無能の証明

 

これらの問題は、「褒められる」「叱られる」という行為で、欲求が満たされます。

第1段階はわかりやすくて、称賛されれば欲求が満たされます。これが段階が上がれば上がるほど、叱られることで所属感が満たされ、逆効果になってしまうのです。

だから、アドラーは賞罰と承認欲求を否定しているのですね。

 

第一部でも語られたように、教育とは自立をサポートすること。

そして、自立とは、自分の人生を自分で選ぶこと。

賞罰は、自分の支配下に置こうとする行為であり、むしろ自立の妨げになっているのです。教育者がやるべきことは、自分で決定して成し遂げたと感じてもらうために、知識や経験をサポートすることなんですね。

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第三部 競争原理か協力原理へ

第三部では、承認欲求について語られています。

賞罰があると、そこには必ず競争が生まれます。競争が生まれることで、「褒められること」を目的とした依存関係が生まれてしまいます。ですので、競争原理自体が、承認欲求を生み出してしまうのです。

 

そこで、アドラーが推奨するのは、「協力原理」です。協力原理こそが、アドラーが言う共同体感覚に繋がります。

人間は弱さゆえに共同体をつくり、協力関係の中に生きています。
狩猟採集時代のむかしから、われわれは集団で生活し、仲間と協力して獲物を狩り、子供たちを育ててきました。
協力したかったのではありません。もっと切実に単独では生きていけないほど、弱かったのです。
(p.148 承認欲求と劣等感について)

このように、人間の元に辿れば協力原理であり、共同体感覚は、感覚としてすべての人間に残っているといいます。

承認欲求に終わりがありません。どれだけ褒められても、次に求めることは褒められること。死ぬまで褒められることを求めるのです。つまり、依存しているということです。これでは自立はできません。

 

自立とは、自らの価値を自分で決定することなのです。

人と違うことに価値を置くのではなく、「わたしであること」に価値を置くのです。それが本当の個性というものです。
(p153 ほんとうの承認について)

第四部 与えよ、さらば与えられん

第四部では、人生のタスクの中でも、仕事のタスク・交友のタスクについて、語られています。

嫌われる勇気では、アドラーはすべての悩みは、対人関係にあると断定していて、この悩みは人生のタスクと向き合うことで解決することができるといっています。

 

さらに、幸せになる勇気では、全ての喜びも人生のタスクから生まれるとしています。

人生のタスクとは、「仕事のタスク」「交友のタスク」「愛のタスク」の3つです。

①仕事のタスク
仕事上の付き合い(他人からの評価など)

②交友のタスク
友人の数ではなく、距離と深さ

③愛のタスク
恋愛関係、親子関係

 

さらに、この中でも、下に行けば行くほど人間関係の距離が近くなり、親密になっていきます。だからこそ、仕事→交友→愛に昇華していくことで、幸福感も味わうことができるようになるのです。

 

第四部では、仕事のタスク・交友のタスクが語られていますが、この2つには大きな違いがあります。それは、「信用」か「信頼」かの違いです。

  • 仕事の関係とは、なんらかの利害関係のある「信用」の関係。
  • 交友の関係とは、利害関係がなく、その人自身を信じている「信頼」の関係。

 

信頼するためには、その人自身を尊重し、尊敬しなければならない。だからこそ、仕事であってもより幸福感を得るためには、相手をまず信頼して、交友の関係にならなければならないってことですね。

第五部 愛する人生を選べ

第五部では、人生のタスクにおける最終関門である「愛のタスク」について、語られています。

愛のタスクとしっかり向き合うことで、共同体感覚に辿り着くことができるのです。

 

なぜなら、”愛”とは「ふたりで成し遂げる課題」であるからです。その課題を向き合うことは、人生の主語が「わたし」から「わたしたち」に変わります。つまり、「わたし」から脱却し、自分が共同体の一部であるという共同体感覚になるということ。

「わたし」や「あなた」よりも上位のものとして、「わたしたち」を掲げる。人生の全ての選択について、その順序を貫く。「わたし」の幸せを優先させず、「あなた」の幸せだけに満足しない。「わたしたち」のふたりが幸せでなければ意味がない。「ふたりで成し遂げる課題」とはそういうことです。
(p.239 人生の主語について)

幸せになる勇気の中心テーマは、「自立」でしたが、共同体感覚における自立とは、「自己中心性からの脱却」です。

仕事→交友→愛のタスクに向き合うことで、自立することができる、ということがよくわかりますね。

愛とは決断である

アドラーは、「運命の人」の存在を認めていません。

なぜなら、「愛する」ということは、愛する相手は関係ないから。「運命の人」を持ち出すことは、現実から逃げているだけなのです。運命とは、自分で作りだすしかないんです。

 

本書では、フロムの言葉を引用しています。

誰かを愛すると言うことは、単なる激しい感情ではない。
それは決意であり、決断であり、約束である
(p.266 愛の対象について)

僕も、去年は結婚を決意し、プロポーズしました。でも、同棲もしていたし、プロポーズしたからと言って、2人の関係性が劇的に変わるわけではありません。

つまり、「この人を一生愛する」という決断をして、約束を交わしただけなのです。なので、アドラーの言うように、愛とは決断であると僕も思います。

幸せになる勇気とは

愛を知り、「わたしたち」を主語に生きるようになれば、変わります。
生きている、ただそれだけで貢献し合えるような、人類の全てを包括した「わたしたち」を実感します。
(p272 幸せになる勇気について)

この言葉からもわかるように、結婚がゴールなわけでありません。

 

パートナーではなくても、子供やペット、仕事で出会った人や友人関係であっても、ふたりで成し遂げる課題というのはありますよね。それを広げたものが共同体であり、「わたし」はその共同体の一部であるというのが、共同体感覚というわけですね。

つまり、運命共同体みたいなものです。それが「幸せになる勇気」ということです。

幸せになる勇気の感想

嫌われる勇気は、どっちかというとアドラー心理学の中でも「課題の分離」にフォーカスした内容でした。

対して、幸せになる勇気は、「共同体感覚」にフォーカスした内容で、この域までいくにはかなり時間がかかりそうですね。特に、交友のタスクまでは実践できても、愛のタスクの感覚はまだわかりません(笑)

 

ですが、アドラーは、人生のタスクに”向き合うこと”が大切だと言っています。ですので、嫌われる勇気・幸せになる勇気を読んだら、常にに意識して、実践することが大事なのです。

 

僕は、「絆」という言葉が好きではありません。なぜなら、絆は協力というよりは、自立していない人間同士が、依存しあっているイメージがあるからです。

僕は、自立した人間同士が手を取り合ってこそ、協力と言えるし、それこそが共同体だと思います。その最終形が、アドラーの言う、自己中心性からの脱却ですね。

 

また、”運命の人は現れない”というのは、恋愛だけでなく、ビジネスでも一緒です。

「まだ自分にはチャンスが巡ってこないだけだ・・・」

と言って、ただ待ってるだけでは、絶対に成功できません。

成功したいなら、自らお金と足を使って積極的に学び、実践すべき。

 

僕は、恋愛でもビジネスでも、どんどん行動して、実践してを繰り返していました。ただボーっと待ってるだけでは、自分の人生なんて変えれません。

幸せになる勇気を持って、自ら運命を作っていきましょう。

 

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